変化を恐れず、挑戦を続ける企業として
玉川グループは、2023 年に創業100 周年を迎えました。これもひとえに皆様のご支援の賜物であり、心から感謝を申し上げます。
1923年に世田谷の地で布団の販売から始まり、機能性繊維製品の開発からリネンサプライ事業へと歩を進めて参りました。創業から幾多の困難に出会いましたが、皆様のご支援を頂きながら、社員が一丸となって困難を乗り越え、お客様に喜ばれる商品・サービスの提供に努めてまいりました。
今、私たちは、時代の転換点に立っています。人口減少や化石燃料からの脱却など、これまで信じて疑わなかったものから、新しい時代への移行が求められています。人も会社も挑戦を止めた瞬間に衰退が始まります。新たな社会の要請に応えることは企業の使命であり、玉川グループは変化を恐れず、挑戦を続ける企業グループであり続けます。
私たちは、いつの時代も誠実に真心を込めて物事に取り組み、「玉川にして良かった、玉
川にいて良かった」と言われる企業を目指して頑張って参ります。
今後とも、ご指導ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
(株)玉川ホールディングス
代表取締役 梅森文寿
沿革
大正12年8月 | 創業者關口りかが個人経営として寝具類の販売を開始。 |
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昭和22年4月 | 日本国有鉄道東京鉄道局より業績を認められ、協力工場に指定。 |
昭和22年5月 | 法人組織に改め、株式会社玉川繊維工業所設立。 |
昭和27年6月 | 日本国有鉄道指名工場となる。 |
昭和37年11月 | 基準寝具メーカーとしてリネンサプライの拡販を図り、福島県白河市に福島工場並びに長崎県佐世保市に長崎工場を新設し、操業を開始。 |
昭和38年9月 | 前社長關口りかに代わり、専務取締役關口武雄が社長に就任。 |
昭和45年9月 | 神奈川県川崎市に川崎工場を新設、旅館ランドリー部を独立させ、株式会社旅館ランドリーを設立。 |
昭和47年8月 | トップリカ化学株式会社を設立し、群馬県太田市に群馬工場を建設、難燃性「パイルトン」の製造を開始する。 |
昭和50年7月 | トップリカ化学株式会社を吸収合併し、資本金24,000,000円を25,000,000円に増資。 |
昭和50年10月 | 群馬県太田市の群馬工場に、クリーニング設備を増設し、操業を開始。 |
昭和52年10月 | 生産部門と営業部門をそれぞれの専門の分野に分離、営業部門を玉川繊維販売株式会社として設立、発足。 |
昭和54年6月 | 資本金25,000,000円を50,000,000円に増資する。 |
昭和57年5月 | 群馬工場のクリーニング設備を増強し、新工場(群馬第二工場)を建設、増産体制を計る。 |
昭和63年7月 | 長崎事業所を東彼杵に移設、最新鋭設備の新工場を建設し、九州事業所として操業を開始。 |
平成元年4月 | 警視庁のリネンサプライ化にともない、瑞穂町にMPD事業所を開設し、業務を開始する。 |
平成元年5月 | 社長關口武雄が代表取締役会長に就任し、専務取締役關口雅章が代表取締役社長に就任する。 |
平成元年10月 | グァム島に南貿グァムLTDと合弁で、リネンサプライとランドリーを目的にNANBO-TAMAGAWA&ASSOCIATES INC.(パシフィック テキスタイル レンタル サービス)を設立し、平成2年3月より操業を開始する。 |
平成2年4月 | マレーシアにてアトライズヨドガワ株式会社と合併によるパイルトンの製造・加工会社MYTI CORPORATIONSDN. BHD.を設立し、平成3年10月より操業を開始する。 |
平成3年7月 | 東京事業所クリーニング工場の設備を群馬事業所に移設し、生産の合理化と集中化を計る。 |
平成4年2月 | 九州事業所第二工場を増築し、リネンサプライ部門の増産とユニフォームランドリーの工場を新設し、業務の拡張を計る。長崎ハウステンボス様の受注を得る。 |
平成4年10月 | タイにて千代田紡織株式会社、泰陽株式会社、株式会社アジアリンクジャパンと合併によるパイルトンの加工会社C.B.TACT(THAILAND)CO.,LTD.に出資設立する。 |
平成7年9月 | 埼玉県入間郡三芳町に東京事業所を移設し、MPD事業所を吸収、集配業務の効率化を計り、サービス体制を整える。 |
平成9年6月 | 長崎県佐世保市に九州事業所ハートフル事業部(ハートフルケアタマガワ)を新設し、在宅介護サービス事業を開始する。 |
平成12年8月 | 福島事業所を白河市ビジネスパーク隣接地に移設、バックシステムをはじめとする最新鋭設備を導入した新工場を建設、操業を開始する。 |
平成12年10月 | パイルトン工場を玉川繊維販売株式会社パイルトン事業部へ移管するとともに、玉川繊維販売株式会社から繊維販売部門を移管、販売営業部としてスタートし、業務の効率化とサービス体制の強化を計る。 |
平成14年10月 | パイルトン工場を玉川繊維販売株式会社パイルトン事業部から群馬事業所へ移管、パイルトン生産課として再スタートし、生産体制の充実を計る。 |
平成15年10月 | 地元密着型の営業展開を目指し、九州支店を株式会社九州たまがわとして分社化し、経営の効率化を計る。 |
平成15年12月 | 玉川繊維工業所全事業所において、国際規格ISO9001品質マネージメントシステムの審査登録。 |
平成17年7月 | 本社事務所を世田谷区松原から赤堤に移転する。 |
平成19年2月 | 旧本社跡地に玉川ビルⅡが完成し、スポーツプレックス東松原(のちコナミスポーツクラブ東松原)が営業を開始する。 |
平成20年4月 | 株式会社玉川繊維工業所は事業持株会社となり、商号を株式会社玉川ホールディングスに改め、同社のリネンサプライ及びクリーニング事業を新たに設立する株式会社玉川繊維工業所に新設分割する。 |
平成21年4月 | NANBO-TAMAGAWA & ASSOCIATES INC. は、GUAM TAMAGAWA COMPANY LIMITED. に商号を改め、副社長關口雄二が代表取締役社長に就任する。 |
平成24年4月 | 株式会社玉川繊維工業所は、同社の福島県を主たる事業エリアとするクリーニング事業を新たに新設する株式会社東北たまがわに新設分割する。 |
平成25年10月 | ドリームコンシェルジュ倶楽部を開設、訪問生活支援サービスをスタートする。 |
平成28年5月 | 株式会社東北たまがわの代表取締役社長に梅森文寿が就任する。 |
平成29年6月 | 株式会社玉川繊維工業所の取締役会長に關口雅章が就任、代表取締役社長に梅森文寿が就任する。 |
令和4年5月 | 旧本社跡地の玉川ビルⅡにて、「ブシロードウェルビー東松原」が営業を開始する。 |
令和5年4月 | 株式会社埼玉たまがわを設立する。 |
令和5年6月 | 株式会社埼玉たまがわの代表取締役会長に梅森文寿が就任、取締役社長に吉田竜太が就任する。 |
令和6年4月 | 旧本社跡地の玉川ビルⅡにて「エニタイムフィットネス東松原店」が営業を開始する。 |
令和6年8月 | 旧本社跡地の玉川ビルⅡにて「Aim Top Swimming Club」が営業を開始する。 |
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